自己責任 つづき

# 通りすがり 『自己責任を否定するってことは今からイラク入りする民間人がいたら、止める必要は無いという立場ですか?』

自己責任という言葉を使った主張には信用できないものを感じてるんですが、それ以上のことについてはうまく考えをまとめる事ができていません(今後もできないかもしれません)。少なくとも、自分は今絶対にイラクに行きたくないです。自分の近しい人が行くと言ったら(特殊な訓練を受けているような知り合いはいないので)、しばらく様子を見るべきだ、と主張すると思います。

恐怖について良く知っておかないと、いざという時*1に的確な判断ができないかもしれません。人質の家族の方はメディアに流してくれと言っているそうですし、怖い方の映像にリンクしておきます。

自分が、少なくとも政治的には、1万人の「無辜の市民」を殺したグループのメンバーだということも考慮に入れる必要があると思います。以前も書きましたが、殺されたくなかったら殺せ、という主張よりも、殺されたくなかったら殺すな、という主張のほうが「まとも」だと感じます。

*1:常に「いざという時」なんじゃないかという気もしますが……

「通りすがり」という名前のこと

上のコメントをしてくれた方には感謝していますし、前から書こうと思ってた話なので、一般論として読んでください。批判的なコメントを書く時の名前に「通りすがり」を使っている人を最近よく見るんですが、あんまり印象良くないです。

つまり距離感の表明なのですよね。偶然見ましたっていう。で、通り過ぎたら後はたぶんもう見ませんっていう。返事してもこの人読むつもり無いんじゃないかという感じがします。あと、名無しさんと一緒で集団の圧力をかさに着てるような雰囲気もあるような。

自分は「粘着」じゃないですよって知らせるための知恵なのかなとも考えたんですが、やっぱり識別できる名前が付いてるコメントの方が自分は好きです。


(追記) そういう傾向があるっていうだけで一般化しすぎのような気もしてきました。「通りすがり」の方の辛口なコメントを4,5回見かけたことがあるんですが、僕と見に行ってるところが一緒な1人の人だったらどうしよう……。もしそうなら、すいません。ごめんなさい。

解放

イラクの状況は全然良くないのでしょうが、とりあえず良かったですね。

身体的・精神的に回復したら、体験を綴った文章をフリーのライセンスで公開すると、よいフィードバックになると思います。