戦争について議論すべきことがあるとしたら

この戦争について、単に感情的に反対するのではなく「知ることが必要」「考えなければならない」「議論すべき」とかいう言い方がされています。けれども、そういう言い方の主語の中にイラクのひとが含まれていないとしたら、それはあまりまともな意見とは言えない気がします。

つまり、もし今やってる戦争についてなにか話し合うべきことがあるとして、イラクのひとびとはその輪の中に入れるんだろうか、ということです。一方で、ものを言ったり考えたりするチャンスを永久に奪いながら(死人に口無し)、もう一方では議論しろとか考えろとか、そんなことが主張できるのだろうかということです。

歪んだ議論でも、無いよりはましっていうのならわかります。しかし、それがなにか優れた行為であるかのように言われるのは我慢ができません。イラクがどこにあるかなんか知らなくても、単に殺し殺される状況が嫌だから戦争反対っていう主張のほうが、ずっとまともなことを言ってるんじゃないかと感じます。