チェルフィッチュ『目的地』
初日に見ました。チェルフィッチュは初めてでしたがすごく面白かったです。15日まで。
同じようなスタイルで何度か公演されているようなので(別に秘密にするようなことでも無いようなので)、どんな舞台だったか説明的なことを書くと、
- 独り言のような台詞を、一人の役者さんが長い間(15分とか20分とか)話し続ける。
- 話の内容は具体的。
- 同じことを何度も何度も何度も言う。
- 台詞の途中で役が入れ替わる。AさんがBさんについて話していたのが、いつのまにかBさんがAさんについて話していたりする。
- 役だけでなく、台詞と地の文も混ざる。場面が変わるときは「……という話を今から演ります」のようなことを言う。
- 話している間はずっと体が動いている。無意識にやる「しぐさ」のような動きをしつこく繰り返す。
みたいなぐあいでした。帰ってきて読んだ記事の中では、
柳澤 役者には、ここでだんだん役が変わっていくんだと話すんですか。
岡田 演技ってものすごく具体的なレベルの作業なので、だんだん変わっていく、ということはあり得ないんですよ。お客さんにはいつの間にか変わってるように見えるようにしたいけど、俳優には明確に、ここから変わるという指示を出さないと、演技ってできないんですよ。
という話が面白かったです。見ていてもわからないけれど、役者さんの内面はひそかにスイッチしている(かもしれない)。
今回観た『目的地』の中では、自分が景色として見たことはあるけど乗ったことがない横浜の観覧車の話がでてくるのですが、その観覧車にまつわる自分自身の記憶が呼び起こされるのと同時に、周りのお客さんもまた、各々違う記憶を介して舞台を見ているのだということを、リアルに感じた瞬間がありました。
それぞれに異なる記憶や思考の主体が、劇場の狭い空間の中に詰まっていて、同じものを観ているけれど違うふうに感じている。舞台の上では曖昧な自分と他人の境界線が、客席で際立つような感じがしました。