むつかしい文章のこと

だから大抵、難しいことは難しい状態のままで理解していくほかありません。

(冷麺 http://bx.sakura.ne.jp/%7Ekyou/CGI/diary/log/wd200306.shtml#ad30)

書き手が難解な文章を書く動機は二つ考えられます。

  1. 難解さを利用して、書き手と読み手が特殊な関係を結ぶため
  2. 読み書きの効率を上げるため

例えば、文芸や宗教書は、文章を難解にすることによって読み手の思考を促し、読むスピードをコントロールし、能動的な姿勢を引き出そうとします。これは上記の1を動機として、難解な文章が書かれる場合です。「格調高い雰囲気」なんかも1に含まれるでしょう。

一方、論理的な文章において、読み手と書き手が特殊な関係を結ぼうとするのは適切ではありません。論理は、全ての読み手に等しく伝えるための手段だからです。論理的に書かれた文章、例えば論文や技術書が難解だとしたら、それは、

  • 書き手が、書かなくても伝わると判断した文を省略し、
  • 読み手が、そのような省略を適切に自分の中から引き出せないから。

です。書き手が利用したい概念がすでに他で議論されていれば、それを省略することで、読み・書きの効率を上げることができます。この場合の難解さは、言ってみれば、人間の入出力量の限界から来る圧縮技術に過ぎません。効率以外に、難解な文章を書く動機がないのです。

ですから、論理的な文章で「難解さ」に特権的な価値を認めるのは間違いです。難しく書くほうが書き手がラクで、読み手によっては効率よく読めるという程度の話でしかありません。

読み手が省略を補えるよう、モデルや具体例を示し文体を工夫するのは(簡単に書こうとするのは)、特に入力が多すぎる現代においては重要な戦略です。情報が供給過多である以上、読み手はいつでも「もっとわかりやすく!」と要求してよいはずです。もっとも、理解にいたるためのステップが既に世の中にあふれている場合は、誰も助けに来てくれないかもしれませんが。