なんとなくの話

だいたい辿った順に。

意見が二分するのはなんか重要なポイントがあるんだと思います。

「小さな悪事の芽を見逃さず、トップダウン式に処理すれば、社会は良くなる。」

みたいな話を信じられるかどうかで意見が変わってくるのかもしれません。僕はあの一連の記事を読んで不快に感じましたけど、じゃあ逆の立場の方たちに何と言えばいいのかはわかりませんでした。セキュリティ社会の問題というのは、こういうことなのかも。

震災にオウム、少年犯罪、絶えず囁かれる経済危機の影に疲れ果てたこの国の市民は、少しでも危険なものや不審なものがあると、すぐに耐えられなくなってしまうからだ。社会全体に余裕がなくなっているのである。

東浩紀安全と寛容 どちらを選ぶのか

例の高校生も、自分のウェブ日記を公開するといいと思う。「いたずらしたのは謝るけど、でもさあ」という話が聞きたい。